日本語の正しい使い方をチェックする企画第2弾です。
今回は主に読み方も含めた日本語のチェックをしよう。例によって以下に長い文章が掲載されているが、「誤った日本語の使い方」をしている部分もあるが、「読み間違えやすい言葉」もたくさん含まれている。声に出してとは言わないが、頭の中で読みながら進めていって欲しい。
正式な読み方だが、世間では通用してしまうものもあるので、そこらは解説を読みながら理解していっていただきたい。
<ルール>
・「小僧肉切りゃ今朝まで憎い」のようにいろんな間違いがあってもこれは1語句として1間違いとする
・この話はフィクションだ。実際の団体・人物はいらっしゃいません
・物語のつじつまが合わないという意見は聞き入れません
・シチュエーションとしてありえないという意見は聞き入れません
・人の名前の読みは含みません。「むらたせいじ」です
解答↓
今回は主に読み方も含めた日本語のチェックをしよう。例によって以下に長い文章が掲載されているが、「誤った日本語の使い方」をしている部分もあるが、「読み間違えやすい言葉」もたくさん含まれている。声に出してとは言わないが、頭の中で読みながら進めていって欲しい。
正式な読み方だが、世間では通用してしまうものもあるので、そこらは解説を読みながら理解していっていただきたい。
<ルール>
・「小僧肉切りゃ今朝まで憎い」のようにいろんな間違いがあってもこれは1語句として1間違いとする
・この話はフィクションだ。実際の団体・人物はいらっしゃいません
・物語のつじつまが合わないという意見は聞き入れません
・シチュエーションとしてありえないという意見は聞き入れません
・人の名前の読みは含みません。「むらたせいじ」です
京王井の頭線久我山駅に滑り込む電車に、今日もたくさんのサラリーマンが吸い込まれていく。その人ごみの中に、村田清次衆議院議員の姿は違和感なく溶け込んでいる。 父親は偉大な衆議院議員であった。さすが蛙の子は蛙とでもいうべきか村田も立派な議員生活を営んでいた。子供の時分は、父親が議員であることなどまるで他人事かのようであったという。いつ議員を目指すようになったのかと尋ねた記事をどこかで見たことがある。 お父さんは立派な人でしたね、というぶしつけな質問に対し、間髪をいれず 「父は、父です。七光りなどとよばれないよう、父が亡くなった今、天地天命に誓って、私も立派な政治家になる所存です」と答えていた。 彼が、若干30歳のときであっただろうか。父親が若くして逝去したころだ。続柄では次男に当たる村田だが、兄はすでに会社経営を決め込んでおり、議員生活をしないものとしていた。そういった意味で、村田しか父の偉業を継ぐものがいないということでもあった。 それでもいきなり大舞台に立てるほど楽なものではなかった。同地区において、奇しくも父親の元参謀と闘う羽目になった村田は、孤立無縁となり、思惑通りにはならず、初陣を飾ることはできなかった。 村田は、早急に次の選挙に向けて、施策を練った。有言実行が彼のモットーでもあった。そして日々の絶ゆまぬ努力が身を結ぶことになったのである。 次の選挙において見事に雪辱を晴らした村田は、高値の花であった議員バッヂをつけることになったのである。 選挙で一段落したかと思いきや、そう甘くはなかった。相反する意見を持つ議員などに格好の餌食となったのである。ここでも父親の偉大さを身にしみて感じていたであろう。しかし、そういった議員は何かと不祥事が明るみになるケースが多いのに対し、村田の周りにはそういったものは皆無であった。 狭いアパートに住み、満員電車に揺られ、自炊をするなど非常につつましい生活を送っていた。議員ともなれば、御用達の料亭で舌鼓を打つものだと思われがちではあるが、村田はそうではなかった。仮に酒を飲む場合も、場末の小さな酒場に行くぐらいだ。年俸に関しても固執しない。 地元ではすっかり人気となった村田議員は、今日も満員電車の中で、日本の明日を考え続けているのである。 了
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間違い、誤用が14個、読み間違えやすいものが18個でした。
解説
【間違い、誤用】
【読み間違えやすいもの】
さて、あなたは正確に読めましたか?
解説
【間違い、誤用】
- 蛙の子は蛙 → この言い回しは凡人の子はやっぱり凡人だという意味で使う。立派な人に使うのは失礼にあたってしまう
- 父が亡くなった → 敬語ではないが、目上の人などに使うのが通例で、身内やペットに対しては使わない。死んでしまったで十分
- 天地天命に誓って → ここは神に誓っての意味になる天地神明が正解
- 若干 → 若干は少しの量のという意味。若い年での意味なら弱冠でなくてはならない
- 奇しくも → 意味はふしぎにもという意味なので、このように『偶然にも』という意味で使うのは本来おかしい
- 闘う → 一般的に競い合うときは戦うを用いる。利害の対立する場合の争いや病気や自然などの困難克服などのときには『闘う』を使う
- 孤立無縁 → 孤立無援。援護がないということ
- 絶ゆまぬ努力→ 弛まぬ努力
- 身を結ぶ → 実を結ぶ
- 雪辱を晴らす → 雪辱は果たすもの
- 高値の花 → 手に届かないものの意味だが、値段的なことではなくて、険しい山の上のことなので高嶺の花が正解
- 明るみになる → 『明るみ』は明るい所、表の世界という意味しかないから、『明るみになる』では意味が通じない。ここは明るみに出るという表現しかない
- つつましい → つつましい(慎ましい)は謙虚、控えめな様子だから、ここでも無理やり通じそうだが、生活ではなく『つつましい式』『つつましい性格』などのように使う。ここは質素という意味を出すならばつましい(倹しい)でなくてはならない(※「慎ましい」の意味で、イコール「倹しい」としている辞書もありますが、これは「謙虚な生活≒質素な生活」とした拡大解釈で発生したものであり、それぞれの元々の用法を覚えた方が今後のためにもなると考え、今回は間違いとしました)
- 御用達 → 御用達は宮中に出入りを許された商人のこと。つまり御用に来た者達のこと。用足し=用達と思われがちだが、それは誤解であり、宮中専用の商人ということになる。『芸能人御用達のお店』というのはおかしい
【読み間違えやすいもの】
- 井の頭(いのかしら)
- 他人事(ひとごと)
- 重複(ちょうふく)
- 間髪(かんはつ)をいれず → 『間、髪を入れず』、間に髪の毛が入る隙もない、というのが本義
- 続柄(つづきがら)
- 大舞台(おおぶたい) → 『おお』の場合は、反対語が存在しないか、『こ』で受ける。小舞台や小地震という言葉はないし、小正月は『こしょうがつ』、大道具(おおどうぐ)と小道具(こどうぐ)などのように。
『だい』に対しては『しょう』が対応する。だいきぼにしょうきぼ。だいうちゅう、しょううちゅう - 奇しくも(くしくも)
- 思惑(おもわく)
- 初陣(ういじん)
- 早急(さっきゅう)
- 有言実行(ゆうげんじっこう)
- 一段落(いちだんらく)
- 相反する(あいはんする)
- 舌鼓(したつづみ)
- 場末(ばすえ)
- 年俸(ねんぽう)
- 固執(こしゅう)
- 御用達(ごようたし)
さて、あなたは正確に読めましたか?